音速の貴公子 アイルトン・セナ


当時、古舘伊知郎がF1実況中継で「音速の貴公子」と呼んだ人物、アイルトン・セナ(Ayrton Senna da Silva)は、通算41勝、65回のポールポジション、そして3度のワールドチャンピオンに輝いた天才レーシングドライバー

 

セナは、1988年からホンダエンジンを供給されることになったマクラーレンに移籍、三重県の鈴鹿サーキットでF1グランプリが開催されるようになり、日本国内でもF1ブームの到来となり、絶大な人気を誇り、モータースポーツの火付け役にもなります。

セナ以外にも、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケ、ミハエル・シューマッハ、リカルド・パトレーゼ、ジャン・アレジ、ゲルハルト・ベルガー、ミカ・ハッキネン、ルーベンス・バリチェロ、中嶋悟、鈴木亜久などがレーシングドライバーとして活躍しており、白熱したレース展開で多くの観客やファンを魅了してきました。

 

1994年5月1日
午後2時 イタリア・イモラ サンマリノGP決勝レース

ポールポジションはアイルトン・セナ、続いてミハエル・シューマッハー、レーススタートで第1コーナー(タンブレロ・コーナー)へ向かいます。

後方では、マシン1台がエンジントラブルでスタートできず、後方からスタートしたマシンが追突、2台のマシンはコース上で大破、ドライバーは無傷で脱出しましたが、リアタイヤが観客席に飛び込み、警備員1名、観客1名が鎖骨を骨折、観客多数が負傷しましたが、レースが中断する事はなく、散乱したパーツによる損傷や二次クラッシュを防ぐ目的でレースを先導するペースカーが入り、各マシンは周回を続けます。

運命の午後2時7分

ペースカー5週目の終わりにレースが再スタート(午後2時7分頃)となり、セナのマシンを先頭に全車が加速、そして7周目、メインストレート次の左高速コーナー(タンブレロ・コーナー)で、セナのマシンは右側にコースアウトしコンクリート壁に激突、タイヤ・サスペンションなどが大破し、ボディーは、スピンを繰り返しコース上に停止、ただちに赤旗が提示され、レースは中断、ドクターとレスキュー隊が駆けつけましたが、すでに意識はなく、応急処置後にヘリコプターで病院に移送されましたが、セナ(当時34歳)の人生最後のレースとなりました。

あれから20年以上の歳月が流れ、今では彼の名を知らない人もいるようです。

伝説のF1レーサー、音速の貴公子、アイルトン・セナに乾杯


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2018年01月25日